第二回「領海、領空侵犯はなぜ頻繁に起こるのか?」<前編>解説:佐藤 常寛(元海将補)
Q:近年中国の潜水艦、ロシアの戦闘機による日本の領海、領空の侵犯はこれまで必ずしも大きく報道されてきていません。しかし実際はこうした事件は頻発していると聞きます。
なぜこうした事件が起きるのか?国際法に照らして、明らかに違法ととれるこうした事件の本質を解説していただけますか?
A:孫子の兵法に「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の一節があります。
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東西冷戦時代の米ソ間では、大は「原爆製造」から小は「電子機器」の性能に至るまで、様々な情報戦が密かに繰り広げられたのは周知のとおりです。
Q:中国の動きひとつ取っても、この4月中国海軍艦載ヘリが二度も日本の護衛艦に異常接近したり、日本の排他的経済水域(EEZ)で中国政府船が海上保安庁の測量船の調査活動を妨害したりと中国の海洋進出の意思は明確になってきたように思います。これほどまでに堂々と中国が頻繁に領海侵犯を繰り返すのはなぜですか。
A:答えは簡単です。我が国を「対象国(仮想敵国)」として位置付けているからです。
中国海軍は1982年の「近代化計画」に従って、沿海防御力を整備(1982年〜2000年)したあと、「近海行動防御(Off-shore Active Defense:沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオを結ぶ「第1列島線」の防御)」を2010年までに完成させ、次に、「遠海防御(Far Sea Defense:伊豆半島、小笠原諸島、グアム、サイパン、パプア・ニューギニアを結ぶ「第2列島線」の防御)」に活動範囲を拡大していると推定されます。(米国防総省「中華人民共和国の軍事力2009」要約)。
また、新聞報道によれば、中国海軍の高官は米海軍との会談の席で、太平洋を米中で二分しようとまで発言したといわれます。
中国海軍が、海洋権益の拡大をめざしていることは明らかです。
「近海海軍(Off-shore Navy)」から「太洋海軍(Ocean Navy)」に脱皮を図ろうとする中国海軍にとって、一番ほしいものはそれまで「未知だった海洋の実態」です。
島国である我が国、あるいは自国から遠く展開する「海洋戦略」を取り入れてきた米国は、歴史的にも早くから所要の海洋環境の調査を重ねた実績を持っています。
これに対して大陸国の中国は、「明朝」時代に太洋に一時進出した以外、海洋での活動が殆んど無いに等しい状態でした。
このため、「遠海防御」の目的と、太平洋の権益獲得とに向けて、活動を拡大しようとする中国は、所要の海洋環境調査に必死なのです。海流・海底地形・海水温度変化・周辺沿岸の電波環境等々、およそ、水上艦艇・潜水艦・航空機の作戦に必要な情報を、事前収集する必要に迫られているといえます。
中国大陸から遠い、我が国の領土「沖ノ鳥島」周辺までも、中国海軍の艦艇・調査船が行動する事実が、それを証明しています。こうした中国の領海侵犯を繰り返してでも、我が国周辺の海洋調査を貫徹しようとする「意図」こそが、我が国を「対象国」として扱っている証拠なのであり、中国の軍事力は我が国にとって潜在的な脅威なのです。
Q:新聞各紙も取り上げていますが、領海、排他的経済水域(EEZ)が未画定の海上で、操業中の中国船籍(漁船)を中国海軍が「護衛艦」方式で保護し、さらに他国漁船を取り締まるというがどんどん大胆になっています。
その影響で南シナ海においても周辺国との緊張も高まっています。5月に入ってからも中国漁船が銃撃を受けたり、周辺国の海軍艦艇に拿捕されたりとさまざまな事件がありました。
一方マレーシアやベトナム、インドネシアはロシアや韓国からの輸入により軍備の増強も進んでいると中国の雑誌「世界知識」が報じています。
この一連の出来事、緊張感関係を引き起こしているのは中国が南シナ海における実効支配を強め、西太平洋への進出を円滑に進めたいという明確な意思が働いているからと考えるのが妥当ではないかと思いますが、そんな彼らにとって最大の脅威は何ですか?
A:それにはまず、中国が南シナ海を支配してきた経緯を理解する必要があります。
国益が錯綜する重要な地域に、軍事力の空白が生じると、その空白を利用して、軍事力を背景とした国家が、その地域に進出する現実について、第1回解説「朝鮮戦争」の項で触れましたが、中国の南シナ海への進出は、米ソの軍事力が同海域の周辺からそれぞれ撤退する前後から激しさを増しています。
南シナ海の領有に関連した各国の主な動きを時系列で整理してみましょう。
…パラセル諸島半分領有中のベトナム軍を排除
大きな地図で見る
…領海12海里、EEZ200海里明記。条約は1994年発効
- 1991年 ソビエト社会主義共和国連邦崩壊
- 1992年 米軍フィリピン・スービック基地撤退
- 同年 中国「領海法」制定
こうした、米ソ軍事力の空白出現と、国連海洋法条約の新たな展開とに呼応した、中国の海洋権益(資源確保)を求める飽くなき諸島領有拡大が、南シナ海での緊張を高めています。
現在、西沙諸島に関しては、中国、台湾、ベトナムが、南沙諸島に関しては、中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイが、領有権を争っており、中国海軍のなりふり構わぬ横暴な行動に、これらの関係諸国が軍事力増強を図るのは当然です。
なお、調査等を妨害する中国の「漁船」は、米国防総省の「中華人民共和国の軍事力2009」によれば、海上民兵(Naval Militia)が乗船し軍事活動しているのです。
この中国海軍にとって、最大の脅威は、日米安保同盟に基づき横須賀に在籍する米第七艦隊の空母機動部隊の打撃力です。
他方、空母にとって、最大の脅威は敵の潜水艦です。従って、中国海軍は、潜水艦の能力向上に最大の努力を払い、海上自衛隊の対潜水艦戦能力を見極める為、意図的に領海侵犯を繰り返しているものと推察されます。
さらに、海底地形その他を調査する中国海軍籍の艦船が頻繁に我が国周辺を徘徊し、収集した資料に基づき、中国潜水艦が水中隠密行動の能力を高めている事実を、決して見逃してはならないのです。
Q:ありがとうございます。さまざま立場、主義、主張の壁を超え、まず正確に現実を知ることが大切だという思いをさらに深くしました。次回は後編、ロシアについてお聞かせください。よろしくお願いします。
解説者略歴:佐藤 常寛(さとう つねひろ)1944(昭和19)年長崎県佐世保生まれ。防衛大学校(第12期)出身。潜水艦艦長、在ノルウェー王国防衛駐在官、舞鶴地方総監部管理部長、下関基地隊司令、幹部学校研究部長などを歴任。1999(平成11)年12月退官。元海将補。
- 第一回 韓国哨戒艦沈没事件
http://d.hatena.ne.jp/ch_nippon/20100605/1275705873
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