山下輝男理事(元陸将)紹介

ch_nippon2010-06-09


【理事略歴】
山下輝男(やました てるお)

1946年鹿児島市生まれ。防衛大学校第13期生。

陸上自衛隊(陸将)。北は旭川から南は沖縄で勤務。
この間中隊長(函館)、連隊長(倶知安)、方面総監部防衛部長(伊丹)、
師団司令部幕僚長(旭川)、副師団長(練馬)を歴任。

平成12年陸自富士学校勤務(副校長)、平成13年第五師団長(最後の第五師団長)、
平成16年3月29日の師団の旅団化改編と同時に退官。

平成16年4月1日から第一生命相互会社において防衛庁総括顧問に就任。
ほかに埼玉県国民保護協力会副理事長。NPO平和と安全ネットワーク理事。
日本戦略研究フォーラム政策提言委員。BCR対策推進機構特別顧問。

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山下塾では平成21年度は喫緊の課題である「防災と国民保護」を、
本年度は安全保障論を取り上げています。

危機管理ライブラリー「阪神・淡路大震災救難」はこちらからご覧下さい

山下輝男理事(元陸将)インタビュー

Q:現役時代の役職(最終履歴)とその役割について教えてください。

A:私の陸上自衛官としての最終職務は、第5師団長です。第5師団は我が国防衛の第一線である北部方面隊の主要部隊として、東北海道(道東)地区の防衛・警備の任務を有しています。また道東地区とはいまなお帰らざる北方領土を目睫に控えた網走・釧路・十勝・根室のことを指します。

Q:自衛官として最初の任務はどんなことでしたか?
A:陸上自衛官のほとんどは、約半年の幹部候補生学校の課程を修了して、それぞれの部隊に配属され、まず小隊長を拝命します。私の場合は、山形県東根市にある第6師団第20普通科連隊第3中隊に配属され、普通科中隊の小銃小隊長として、自衛官勤務の第一歩を踏み出しました。小銃小隊は編制上は約40名の小銃や機関銃を装備する3個班からなる部隊で、小隊長は2尉または3尉です。

Q:最も長く経験された任務を教えてください。

A:自衛官としてある時は指揮官又は幕僚、あるいは教官等として勤務することになりますが、単一の職務としても最も長かった職務は、倶知安にありました第29普通科連隊長兼ねて倶知安駐屯地司令です。丁度3年間の勤務でありました。連隊長兼ねて駐屯地司令は、いわば「一国一城の主」的存在であり、自衛隊、部隊はかくあるべしとの己の思いの丈を注入した極めて充実した任務であり、期間でありました。

Q:現役時代の忘れられない任務の思い出、エピソードをひとつ教えてください。

A:私の主要経歴は下の図をご覧ください。

勤務地で大きな災害に遭遇することが多く、「お前は東京に帰ってくるな」と先輩・同期に散々冷やかされたものです。

なかでも最も強い印象が残っているのは平成7年1月17日に起きた阪神淡路大震災に伴う災害派遣であります。

当時私は東海・北陸から中国・四国までを管轄する陸上自衛隊中部方面総監部の災害対処の主務幕僚である防衛部長として勤務していました。

退官後は、これらの経験を踏まえて、危機管理、防災及び国民保護に関わる活動を行っています。


        
     

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