NPO平和と安全ネットワーク夏川和也理事長(元統合幕僚会議議長)

ch_nippon2010-06-01

【理事長略歴】

夏川 和也(なつかわ かずや) 
1940年、山口県生まれ。
防衛大学校卒業後(第6期)、教育航空集団司令官、
佐世保地方総監、海上幕僚長統合幕僚会議議長を歴任。
1999年、退官。

日立製作所特別顧問を経て、
財団法人水交会理事長、NPO法人「平和と安全ネットワーク」理事長。

夏川和也理事長インタビュー


Q:現役時代の役職(最終履歴)とその役割について教えてください。


A:統合幕僚会議議長です。3自衛隊の努力を統合するための方策を検討する陸・海・空幕僚長で構成される会議(機能)の議長(まとめ役)です。


Q:自衛官として最初の任務はどんなことでしたか?


A:任官してすぐ遠洋練習航海に出ました。帰国後操縦課程に進み、一年半後に最初の任地である八戸航空基地の第四航空隊に赴任しました。 
 任務は対潜哨戒機(P2V−7)のナビゲーター(戦術航空士)です。潜水艦の探知・追尾・攻撃の訓練と同時に、監視や災害派遣、海氷観測に従事するとともに、操縦士としての訓練を受けました。


Q:もっとも長く経験された任務を教えてください。


A:航空隊での勤務が合計で約10年になりますのでもっとも長いものです。その他は、地上勤務と呼んでいますが(飛行配置でないもの)、合計すれば38年になります。


Q:現役時代の忘れられない任務の思い出、エピソードをひとつ教えてください。


A:昭和40年台前半、災害派遣に出動した時の事です。 

 千島列島のソ連領海付近で日本漁船が転覆しました。海上保安庁の巡視艇が駆け付けたところ、海面に出ている船底の中から転覆した漁船の乗組員が合図を送っていました。

 海上保安庁の巡視艇には船底を切り裂く道具が無く、一式を海上自衛隊の哨戒機で運ぶことになり、私はその航空機に乗りこむことになりました。

 装置の積み込み、航法の確定、海保巡視艇との通信手段の確定等準備を完了し、あとは出動命令を待つだけとなりましたが、なかなか発動されません。

 理由の細部は聞かされませんでしたが、ソ連との外交調整に手間取り時間がかかったということでした。

 やっと命令が下り、離陸。

 現場からは「転覆した漁船の船底から合図はまだ送られている。しかし時間が経っているので、いつまで持つか分からない、急いでくれ」ということで、最大速度で進出。

 現場到着まで後5分という時に、海保巡視艇から「信号が弱くなってきている、急げ」という通信が入り、以後刻々と状況が入ります。

 装置の投下方法の打ち合わせをしている間にも、「信号が弱くなる、信号が弱くなる」と悲鳴に近いものに変わってきました。

 現場上空到着、投下準備という機長の号令がかかった、まさにその時現場から「信号が途絶えた」という知らせが入りました。

 何分間か分かりません、哨戒機内、海保巡視船からも、誰も声を発するものはありません。 

 もう少し早ければ、もう少し早ければ何人かの命が救えたのに、残念だ、本当残念だという思いです。

 巡視船に挨拶をして現場を離れましたが、帰路の機内の雰囲気の沈んだこと、そんな経験はそれ以後の飛行ではないものでした。
(聞き手・構成:小関達哉)

NPO法人「平和と安全ネットワーク」理事長プロフィール

夏川 和也(なつかわ かずや) 1940年、山口県生まれ。防衛大学校卒業後(第6期)、教育航空集団司令官、佐世保地方総監、海上幕僚長統合幕僚会議議長を歴任。1999年、退官。日立製作所特別顧問を経て、財団法人水交会理事長、NPO法人「平和と安全ネットワーク」理事長。

         

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